(1) 将棋王位戦第5戦の感想
やはり藤井聡太君のずば抜けたヨミには驚くしかありませんでした。(素人の私には勿論)『解説者にも、挑戦者佐々木7段が優勢で、なぜAIが藤井優勢なのか、よくわからない局面』で、先の先まで読み切って差した藤井王位の驚愕の「2四歩」(それに先立つ5五玉の手渡し)、そして最終局面で佐々木7段の起死回生の「8七桂」をかわした後の、藤井王位の「7三桂成」、まさに神業でした。
そしていつも謙虚な感想コメントには、彼の人柄と底知れぬ強さを感じます。紛れもなく怪物です。8冠(全冠)制覇はもうすぐそこまで来ています。大山ー羽生ー藤井 圧倒的な時代の流れを感じます。勿論そこには時に肉薄したライバルもいるにはいましたが、この3人の存在感には遠く及びません。 藤井7冠の棋譜は、大山・羽生以上に、後世に残る「芸術品」になるでしょうね。
(2)仙台育英二連覇ならず、慶應107年ぶりの優勝
高校野球は、やはり「流れ」の支配が大きいことを証明した一戦だった。初回慶應の先頭打者の見事な本塁打と地鳴りのするような「巨大な応援」に、あの実力派投手のみならず育英の選手全体が飲み込まれ、逆に慶應の各打者が育英を飲み込んでいった瞬間だった。
しかし育英にも「流れ」を取り返すチャンスは3度訪れた。しかし、1点差に迫って、無死2・3塁で、須江監督は、打線を過信して強硬策に出て、失敗した。リードされている局面では、起死回生を狙うのではなく、着実に「追いつく」ことに集中しなかったことが災いし(各種の経営もまた然り)、「流れ」は大きく慶應に傾いたまま終盤を迎えざるを得ず、かえって慶應の「のびのびしたプレー」で劣勢を拡大してしまった。
監督の冷静さを欠いた「采配ミス」である(須江監督は人間として素晴らしい人だと感心するのだが)。それはともかく、素直に頑張った両軍の選手たちに拍手を送ろうではありませんか。
余談だが、今大会の審判団の首を傾げざるを得ないジャッジや、今回の組み合わせは、偶然とはいえ近接地区(隣県同士)が多かったように思えたのは私だけだろうか。それに時代とはいえ、長髪の球児の急増は隔世の感がありますね。投手の球速もプロ並だし、金属バットの飛距離も普通じゃないことから、木製バットにしてもいいのかな、とも思いますね。
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事務局からも一言
~ 8月23日の仙台育英と慶応高校の甲子園大会優勝(決勝)戦は、結果は別としてその後、高校野球の観戦や応援のあり方についての議論を呼んでいる。
○エンジョイ!ベースボールが喝采をあび、慶応の森林貴彦監督の指導理論への好感度も高いように見受けられた。生徒たちもスマートでクレヴァーな印象で喝采を浴びたが, 優勝直後から、テレビや週刊誌で、SNSで、も慶応側の応援の実際が、厳しい批判にさらされている。甲子園球場で、慶応側の応援を見た多くの人たちも強烈な違和感をもった。
~「甲子園『慶応優勝』への違和感の正体」と週刊新潮が特集を組んでいる。大人の熱狂のせいで、慶応の高校生が気の毒だった。 その後の記者会見等を通じて、森林監督も慶応高校野球部員も一丸となって、優勝するための勝負を仙台育英に挑んできたということがよくわかった。
○8月31日、新聞紙上で「仙台育英 日本一からの招待」という著書で、仙台育英高校の野球部監督 須江航氏も「人生は敗者復活戦」」
~人と組織を須江流マネジメント術と、広告を 出している。決勝戦直後の仙台育英側コメントを見ていると、監督含めて、物わかりのよい丸っこい仙台育英、朴訥で諦めのよい仙台育英という決勝後感想が多かった。 佐々木さんの感想が言うように、確かに勝機はあったと思う。継投のタイミングもそうだ。大阪履正社高校との闘いを見ると、采配は明らかにちがった。
○守備妨害とまで言われた慶応側の応援態勢だが、その後の議論の経過を見ていると、慶応のOBや関係者からも、こういうことは繰り返してはいけない、慶応側や主催者側がきちん と問題を総括し、解決しなければならないという建設的な意見がでてきて、落ち着くところに落ち着きそうだが美談、聖域で済まさず高校野球の抱えている問題を真正面から取り上げてほしい。
甲子園の閉会式に出ていて、主催者側の講評や式運営には、なんとも違和感を感じる。問題は、主催者側の講評でも不十分だった。 慶応側の応援については107年ぶりの優勝への執念を 感じた。慶応幼稚舎の生徒たちも制服を着て親に連れられてたくさん応援にきていた。伝統とか校風とか、学校の個性が最大化された優勝戦だった。
50年前に完治したはずの慢性中耳カタル が一時的に再発した。 (加藤憲雄)